第三者承継で愛知県東栄町の養鶏場を引き継ぐ!元公務員がチャレンジする鶏肉の直販や耕畜連携

記事の内容

公務員を辞めて、第三者承継での新規就農&移住

名古屋コーチン飼育のこだわりや試行錯誤

直販や「耕畜連携」への挑戦

今回インタビューした農家は、愛知県東栄町の古戸養鶏場代表の森田泰史(もりた やすちか)さんです。

愛知県の農業改良普及員を辞めて、第三者承継で養鶏場を引き継いで新規就農!

人気料理番組にも取り上げられた「とうえいコーチン」生産者の、就農までの経緯や名古屋コーチン飼育のこだわり、販路や耕畜連携に向けた取り組みなどを取材しました!

目次

県の農業改良普及員を辞めて、第三者承継で養鶏場を引き継ぐ

管理人

森田さんが農業に興味を持ったきっかけはなんでしたか?

森田さん

実家の周辺は田舎で、田んぼが多かったんですけど……。
時が経つにつれて、田んぼがどんどん宅地になっていくのがもどかしくて、農家になりたいと思うようになりました。
私は非農家でしたけど、高校卒業後は愛知県の農業大学校に進学しましたね。

管理人

農地が宅地化されていく風景をみるのは、寂しくなりますよね。
農業大学校では、どんな勉強をされていたのですか?

森田さん

動物が好きだったこともあり、酪農科の修士課程まで修了しました。
チームを組んで毎日早朝から搾乳して、大変でしたけど楽しかったです!
だけど酪農の農家実習をするうちに、非農家出身では酪農は資金的にも精神的にも厳しいという現実に心が折れてしまいまして……。
農家にはなれないなら、せめて農業に関わる仕事をしようということで、名古屋市の肥料会社に就職することにしたんです。

管理人

就農する時は特に、初期投資がネックになりますよね。
進路を変更した先の肥料会社では、どんな仕事をされていたのですか?

森田さん

農家さんへの肥料の配達や営業を、2年ほどしていました。
そんな中で農業大学校の先生から、
「県の農業改良普及員の募集を受けてみないか?」
と勧められたんです。
私も「農家の右腕」みたいな、より農家さんと距離が近い仕事をしたいと思って、受けたら採用されて!
27歳までの3年間、愛知県の農業改良普及員として、主に新規就農の相談を受けていました。

管理人

中途で愛知県の職員に採用されるとは、森田さんの知識や熱量が認められたんですね!
そこから、自ら農業をすることになったきっかけはなんでしたか?

森田さん

「第三者承継で養鶏場を引き継ぎたい。」という話が普及課に舞い込んで来たので、私が後継者として就農することにしたんです。
一度は諦めた農家という夢が目の前にあったので、

「周りに何を言われようと農家になってやる!」
という決意で、28歳の時に愛知県東栄町に移住して就農しました。

管理人

話が来てから1年経たずに就農!即断だったんですね!
でも、農家になるのが夢だったとしても、安定した立場を捨てるのは難しい決断だったのでは?

森田さん

たしかに、公務員から農家になることはリスクもあることですから、当時周囲からはだいぶ止められました(笑)。
だけど普及員として新規就農の相談を受けていたこともあり、養鶏で利益が出せる具体的な就農計画は立てられたんです。
養鶏の技術がつくまで先代から教えてもらえるし、住居も東栄町の空き家を安く借りられて。
私なりの根拠を揃えて、「これなら養鶏で食っていける」と判断しました。

管理人

なるほど。
ところで第三者承継は、農家さんごとに条件などが違っていると思います。
森田さんの場合は、具体的にどのような契約だったんですか?

森田さん

たしかに第三者承継は、農家によっても契約条件が違うでしょうね。
私の場合はざっくり言えば、
・最初は従業員として給与をもらう形で働いて、機を見て独立
・鶏舎はリース契約で、10年後に譲渡
・独立一年目のヒナやエサは自分で仕入れる

という契約でした。
一番お金がかかる鶏舎の初期投資がかからないことが、2016年34歳で独立する時には助かりましたね。

平飼いの名古屋コーチン
管理人

設備投資が抑えられたのは、就農当初はありがたいですよね。
それでは森田さんは、お金やその他の不安はなかったのですか?

森田さん

私は独立後は経営開始資金を受けて、その補助金で2tトラックをリースしたり、中古のショベルを買いました。
フォークリフトは運よくいただけたりして、必要最小限の機械設備は揃えられましたので、お金の不安は少なかったですね。
就農準備資金・経営開始資金

森田さん

お金よりも、慣れない土地で一人でやっていけるかという不安の方が大きかったです。
独立就農したら、従業員を雇うにしても、精神的には孤独じゃないですか。
私の場合は東栄町に移住してきたので、地域ともうまくやっていけるかという心配もありました。
全部自分次第で意思決定できる反面、最初は失敗に対する怖さもありましたね。

肉の味を重視した名古屋コーチンの飼育

管理人

では、現在の森田さんの養鶏はどんな感じですか?

森田さん

「名古屋コーチン」を平飼いで飼育しており、6棟の鶏舎をローテーションして、生育ステージをずらして年間約5万羽を出荷しています。
労働人員は基本的には私1人で、出荷の時に妻が手伝ってくれていますよ。

管理人

5万羽の平飼い養鶏、圧巻ですね!
でも名古屋コーチンはブロイラーなどの他の鶏と比べて、生育がゆっくりというデメリットもあると聞きますが…?

森田さん

おっしゃる通りで、ブロイラーは60日ほどで鶏肉として出荷できるのですが、私の場合はヒナを仕入れてから120日ほどかけて出荷します。
生育に時間がかかる分、当然売上面や病気などのリスクはあります。
ただ先代から名古屋コーチンを飼育していたことと、あとは将来自分でもブランド鶏として直販することを見据えて、肉が美味しいと評判の品種を育てることにしたんです。

管理人

なるほど、名古屋コーチンは3大地鶏と呼ばれるうちの1種ですから、認知度も高いですよね!
森田さんの飼育のこだわりはありますか?

森田さん

鶏肉の美味しさにはこだわっていますね。
鶏の腸内環境や生育を考えて、腐植酸や生育が良くなる菌を配合したエサを、あえて与えすぎないように飼育しています。
具体的には60日齢からは、エサの量と時間を制限します。
たくさんエサをあげて鶏を太らせた方が、当然体重も増えて売上も上がるのですが、
鶏肉に旨味を乗せるために、肉質を引き締めることを意識していますね。

こだわりのえさを与えすぎない管理
管理人

……美味しそう!
こだわりの飼育にたどり着くまでに、失敗したことはありますか?

森田さん

失敗は、特に独立した当初は多々ありましたよ…。
中でも一番の失敗は、鶏舎の温度管理を自己流でやろうとして、多くの鶏たちが病気になってしまったことです。
私の鶏舎は解放型で外気が入るので、保温カーテンの開け閉めが大変なんですよ。

管理人

温度で鶏たちが病気になりやすくなってしまうのですね……。
その失敗から、どのような改善をしましたか?

森田さん

先代のアドバイスをもう一度聞き直して、温度変化のログを取って、カーテン開閉の温度や時間の試行錯誤を繰り返しました。
手間をかける所はかけつつも、鶏の健康を維持できるような温度管理のマニュアルが出来た時に、ようやく計画通りの羽数の出荷ができるようになりましたね。

「とうえいコーチン」としてブランド化し、直販に力を入れる

管理人

現在の森田さんの販路はどんな感じですか?

森田さん

現在は食肉処理場との契約が、ほとんど100%です。
これからは処理した鶏肉を切り卸して、
「とうえいコーチン」として、ECサイトや飲食店への直販を増やすことを目指しています。

管理人

将来の目標でもあった、鶏肉の直販に力を入れるわけですね。
でも、全羽出荷できる契約先があるのに、ブランド化して直販をする理由はなんですか?

森田さん

販路を複数持つことで、売上低下のリスクを軽減したいんです。
コロナ渦やウクライナショック以降、鶏肉の需要減やエサ代高騰などで、経営に大きなダメージがありまして。
先代から引き継いだ養鶏を潰さずに守っていくためには、価格を自分で決められる販路を作ることが、重要課題だったんです。

古戸養鶏場の「とうえいコーチン」
管理人

どの農家さんも、資材などの値上がりや農産物の低価格に苦しんでいますよね……。
販路を複数持つというリスクヘッジは、色々な農家さんにとっても参考になることだと思います。
あとは、販路面での課題や目標はありますか?

森田さん

実は2020年までは、名古屋コーチンの卵も採集して販売していたんですけど、
コロナ渦で飲食店の需要が落ちてしまったことで、卵を産む130日齢以降まで飼育しきれなくなって、鶏肉だけの出荷に絞っていたんです。
2025年からは卵の販売や直販に力を入れるために、従業員も募集をして農業経営を再構築しようと考えています。

管理人

なるほど、名古屋コーチンは卵も有名ですからね!
卵肉兼用種という特性を活かした経営に戻していくのですね。

将来の展望や就農希望者に対してのアドバイス

管理人

森田さんの今後の展望はありますか?

森田さん

産業廃棄物になってしまう鶏ふんを有効活用することも、現在取り組んでいることです。
今までは近所の果樹農家やお茶農家に提供していましたが、2025年から東栄町で畑を借りて、私自身でも鶏ふんを利用して野菜を栽培しています。
鶏ふんを粒状にして袋詰めして、東栄町以外にも販売することも検討していますよ。
小さいながらも「耕畜連携」していくことは、目指す農業像の一つですから。

耕畜連携も始める
森田さん

あとは子どもたち向けに、エサやりや卵の採集などの体験農園もしたいと考えています。
私が子どもの頃に田んぼで遊んで農業に興味を持ったように、今の子どもたちにも農業を身近に感じてもらいたいなと。
将来農家になりたいと思ってくれる子どもが、地域に増えたら嬉しいですね。

管理人

耕畜連携や養鶏の体験農園、素敵ですね!
最後に森田さんのように、非農家から新規就農を志す方にアドバイスがあればお願いします。

森田さん

自分の本当にやりたい農業を明確にして、就農計画を立てるためにも、
まずは大きな農家や農業法人で現場の経験を積むことをお勧めします。

あとは第三者承継でも新規就農を目指すにしても、農地や設備譲渡などの契約書はしっかり交わしましょう!

森田さん

もう一つ、地域づきあいをないがしろにしないこと!
田舎での生活は、農業よりも地域づきあいがメインだと考えた方がいいです。
移住した私の場合は、地域の消防団に参加して、「移住してきて養鶏始めた人」として周りから認知してもらえましたから。

管理人

取材させていただきありがとうございました!

農家さんのリンク
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次