長崎県佐世保市で親元就農
自家製堆肥や葉面散布にこだわった、ミカンとキュウリ栽培
市場を通したスーパーとの契約販売
今回インタビューした農家は、長崎県佐世保市のはだ農園代表の羽田忠儀(はだ ただのり)さんです。
長崎県佐世保市で親元就農して、ミカンと施設キュウリを栽培されて、独自の販路に出荷されています。
こだわりの栽培をされている羽田さんに、就農した経緯や栽培、販路などについて取材しました!
実家の農業の経営状況を知って奮起

羽田さんはどのような学生でしたか?



まあ今振り返れば、高校まで続けていた野球以外は、深く真剣に物事に向き合えなかった学生でしたね(笑)。
高校卒業後は2年間農業大学校で学んで、2006年に実家の農業に入りました。



長崎県佐世保市で、親元就農したのですね。
他の仕事は選択肢にはなかったのですか?



農家の長男でしたし、私も農家を継ぐもんだと漠然と思っていました。
両親からも、
「実家の農業を継ぎなさい。」
と言われてきたので、他の仕事をしたいとかは真剣に考えたことはなかったです。
既定路線をどこか他人事のように進んでいたので、就農して数年は正直農業にあまり気持ちが入らず……。
周りからも、「農業の手伝い、頑張ってね!」と、両親の手伝いとしか思われてなかったですね。



まあ私も含めて、親元就農で最初からやる気満々の方って、多くないと思いますから…。
そこから羽田さんが農業に真剣に取り組むきっかけがあったのですか?



給料が徐々に少なくなっていったことで、自分の家の経営状況が良くないことに気づいてしまったんです。
「給料は要らないから、夜に他の仕事をする!」
と、当時は焼き肉屋の接客をしながら、将来の不安に駆られていました。
恥ずかしながら、現状の農業経営への危機感を感じて初めて、真剣に農業と向き合わないとヤバいと感じましたね。





羽田さんは、農業経営のどこをまず改善するべきだと思われたのですか?



売上が低迷していた原因は、作物の収量や品質がついてこなかったことだと、私は分析しました。
ミカンの成木になるまでの経費や種苗肥料費がかかるのは変えようがないことなので、その分収量も品質を伸ばせるように、栽培を勉強し直しました。
自家製堆肥や葉面散布にこだわった栽培



栽培を見直したということですが、現在の栽培作物や労働力はどんな感じですか?



露地のミカンが230a、施設キュウリが40aです。
労働力は両親と私、ミカンとキュウリのパートさんが4,5人です。
朝にキュウリの収穫や管理をしてからミカンの作業をするという、周年の作業体系に落ち着きました。



果樹と施設栽培の複合なんですね。
羽田さんの栽培面でのこだわりはありますか?
葉面散布



他の農家と異なるこだわりと言えば、葉面散布ですかね。
特にミカンは、冬の時期も含めて、1年で20回以上は葉面散布をしていますね。
アミノ酸から微量要素まで、ミカンの樹勢のイメージを持ってやっていますね。



えっ、20回も葉面散布!?
あまりミカンの樹が成長していないような冬から、葉面散布ってするものなんですか?



ミカンは「春に芽と花が出る時点で糖度が決まっている。」とも言われるんです。
冬の時期から葉っぱから樹に栄養を貯蔵させることで、いい芽や花につながると私は考えています。
樹勢が良くなったことで隔年結果がほぼなくなって、味も安定するようになりましたよ。



でも、ちょっと嫌味な質問になっちゃいますけど……、
葉面散布には様々な意見があって、「やらなくてもミカンは成る」という方もいますよね?



おっしゃる通り、ミカン農家ごとに栽培の流儀はありますから、私以外の栽培を否定なんてしません。
ただ本質的に言えば、作物との対話するための手段として、私は葉面散布をしています。
回数を多くして毎年同じ時期に葉面散布することで、毎年の葉っぱの微妙な違いが分かります。
各年で観察して記録することで、作物の気持ちが分かるようになりますからね。





なるほど、しっくりきました!
ミカンと向き合うために、重労働な作業を惜しまないということですね!
自家製堆肥



あとは2024年から堆肥舎を構えて、木くずと牛糞堆肥と米ぬかをベースに発酵菌を加えて、発酵堆肥を作っています。
島本微生物工業株式会社に堆肥の検査に持ち込んで、堆肥の吸収しやすさ指標である「C/N比」まで測って調整していますよ。



C/N比まで図っているとは、業者顔負けですね!
ところで、なぜ堆肥作りに乗り出したのですか?



キュウリやミカンの土壌の地力が、年々少しずつ落ちているのを肌感覚で感じていたからです。
これまでも微生物資材や堆肥は使ってはいたんですけど、この先の天候不順や猛暑に対応していくには、従来の土作りを変えるしかないと思いましたね。



土作り、農家の基本ですよね。
でも堆肥も微生物資材も、近くで手に入るし市販されていますよね?
堆肥舎などの初期投資もかかることですし、なぜご自身で作ろうと思ったのですか?



たしかにトラクターとバゲットなどの設備も含めて、300万円くらいの初期投資がかかりました。
だけどこの先ずっと堆肥は使うものですし、納得がいく微生物資材を格安で作れるのですから、長い目で見たら断然お得です!
自家製堆肥を使用し始めて、特にきゅうりは根の活着が明らかに良くなったと思います。



なるほど、堆肥を毎年使うのであれば、年間でも2ケタ万円くらいは経費削減にもなりそうですね。
あとは栽培の失敗談も聞きたいのですが、栽培で失敗されたことはありますか?



失敗は多々してきましたよ。
だけど印象に残っているもので言えば、就農から数年は売上を上げることだけしか見えていなくて、ミカンとキュウリ以外の色々な作物を手を出したことですかね。
白菜、キャベツ、ジャガイモ、ダイコン……。
慣れない作物で戸惑ったり、土地に合ってなかったのもあって、そこまで売上は上がりませんでした。
それどころか肝心のミカンやキュウリの作業が遅れだしてしまったので、
現在はミカンとキュウリに作物を絞っています。



なるほど。
多品目と作物を絞った栽培、どちらにもメリットはありますけど、
作物を絞った方が効率もいいですからね。


市場を通してスーパーの仲卸と契約



現在の販路はどんな感じですか?



キュウリは近くの市場にほとんど出荷していますが、
ミカンは市場を通してイオン系列の仲卸業者に8割、直販が2割くらいですね。



ミカンは市場を通しての仲卸業者との取引ですか!
どのような経緯で、業者と契約したのですか?



元々両親の代から、JA出荷ではなく独自の販路に切り替えていたんです。
ただその出荷先も、うちのミカンを高い価格で取引してくれるわけではなくて。
ミカン栽培に手間や経費をかけるためには、販路をまず確保することが重要じゃないですか。
だから栽培の見直しと並行して、新たな販路も探しました。



売り先をまず決めることは、農業の鉄則ですよね。
ところで、どうやって営業をしていったのですか?



前に取引していたバイヤーとの会議の時に、空気も読まずに熱くはだ農園をPRしたりしましたが、空回りに終わりました…(笑)。
それでもあきらめずに、ある時からはだ農園のミカンをアピールするために、市場に真っ黒のデザインの箱を作って出荷したんです。
いきなり目立つ色の箱に変わったもんだから、市場や卸業者の方にびっくりされました。
だけど肝心のミカンの美味しさは評判になったようで、縁あってイオン系列の仲卸業者から声をかけてもらい、『針尾汐風みかん』という個人ブランドで取引させてもらうことになったんです。



今までも市場に出荷されていたとはいえ、独自の段ボールで出荷できるんですね(笑)。
でもアピールには成功したようで何よりです。
販路面に関して、今後の展望はありますか?



今後はみかんの店頭に並ぶ販売時期を、伸ばせるようにしたいです。
そのためにはミカンの栽培面積を増やすことと、施設栽培の4月出荷の「せとか」も栽培予定です。
これも仲卸と商談して話がついていて、「針尾汐風せとか」という名前まで決まっています!
スーパーに長く「針尾汐風みかん&せとか」を置いてもらって、はだ農園の認知度とファンを増やしたいと考えています。


今後の目標や就農希望者に対してのアドバイス



親元就農で栽培や販路を変えていったのは、勇気が要ることなので、私も見習いたいです。



いやいや、私が特別ではなく、もっとすごい規模の農家はたくさんいますから…(笑)。
まあでも、失敗を重ねながらも、誠心誠意向き合うことを大事にしてきました。
買ってくれるお客様や取引先にも、作物にも、嘘はつきたくないですからね。
就農して10年以上経ち、経営も自分が決断するようになって、売上は3倍になりましたね。



お客様と作物に向き合うこと、参考になりました。
最後に、今後の目標を教えてください。



農業を志す方は、肉体労働や利益を出す大変さなどで、理想と現実のギャップに苦しむこともあるかと思います。
それでも試行錯誤を止めずに、苦しさを乗り越えてほしいですね。
天職は見つけるものじゃなくて、続けていく中で合わせていくものだと考えています!
私も就農当時は農業をするのが辛かったんですけど、今は農業を心の底から楽しめていますから。



取材させていただき、ありがとうございました!
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