輸出企業へのリンゴの出荷にハンドルを切った、「カリスマ」リンゴ農家の栽培や販路の戦略

記事の内容

バイクレースに時間とお金を注ぎ込んだ20代

出荷先のニーズに応じたリンゴ栽培

リンゴを輸出している企業への出荷

今回インタビューした農家は、青森県黒石市のあずま農園代表の東正貴(あずま まさたか)さんです。

バイクレースに夢中だった20代を経て親元就農し、海外へ輸出している企業にリンゴを出荷されています。

某雑誌のカリスマ農家ランキングにも載った東さんの、就農までの経緯やリンゴ栽培のこだわり、販路の選択などについて取材しました!

目次

20代後半で実家のリンゴ園に戻って親元就農

ナス男(筆者)

東さんはどんな幼少期を過ごされていましたか?

東さん

青森県黒石市でリンゴ農家の長男として育って、子どもの時から小遣い目当てでリンゴ栽培の手伝いをしていました。
「親がしているリンゴ栽培は大変そうだし、農業は儲からなさそうだ」
と子どもながらに感じていて、仕事として農業をすることは選択肢にはなかったですね。

ナス男(筆者)

農業をする前まで、東さんは何をされていましたか?

東さん

まあかっこよく言えば、バイクのロードレースに熱中していた20代でしたね!
仙台を拠点にして、時には日雇いや掛け持ちのバイトもしながら、お金はバイクのパーツや遠征費に費やす生活をしていました。
就農する直前までは、バイク関係で紹介してもらった雑貨店で店長として、仕入れから利益管理までしていました。

ナス男(筆者)

バイクレースに出場されていたのですね!
そこから農業に興味を持ったきっかけはなんでしたか?

東さん

店長として仕入れ値や人件費などを元に、論理的に利益を出していく仕事にやりがいを感じてはいました。
ただ一方で、やっぱり自分で経営をしてみたくなって、何かしらの商売での独立を漠然と考えていました。

東さん

ある時に、スーパーの青森県産リンゴの販売価格が目に留まったんです。
リンゴ1個が150円くらいだったかな?
リンゴ農家生まれの私は、1個のリンゴの利益を知っていたので、
「中間にかかる経費が多すぎないか?直接販売したら、もっと利益を残せるのでは?」
と、農業に興味が湧いてきたんです。

思い立ったその場で青森県の両親に電話をかけて、リンゴの販売について聞いて。
2008年に実家の青森県黒石市に戻って、リンゴ農家を継ぎました。

ナス男(筆者)

リンゴの販売部分で、改善の余地があると感じたのですね。
東さんが農業をすると決めた時の、周囲の声や反応はどうでしたか?

東さん

両親には具体的な数字を出して、販路の多角化を論理的に説得しましたから、
「それだけ具体的に考えているなら、好きなようにやってみろ。」
という感じでしたね。
仙台にいた時から付き合っていた妻にも、プロポーズして結婚しました。
妻は勤めていた仕事を、宮城県の店舗から青森県の店舗に転勤して、私と一緒に田舎町についてきてくれて。
妻には今でも頭が上がりませんね。

リンゴの摘果作業をする東さん
ナス男(筆者)

素敵なエピソードですね!
東さんが実家のリンゴ園に就農してから、まずは何を変えていったのですか?

東さん

まず変えたことは、農地の拡大と作物の集約ですね。
2008年当時は3haほどでしたが、縁あって2011年には6haまで拡大しました。
あとはアスパラや稲、モモも少し栽培していたのですが、リンゴに専念するために、バッサリと辞めましたね。
利益や機械の稼働効率も悪いし、主力のリンゴ栽培をする前に、体が疲れちゃってたので(笑)

ナス男(筆者)

数年で約3haも拡大して、作物も絞ったのですね。
かなりの急拡大&方針の転換だと思うのですが、反対はされませんでしたか?

東さん

そりゃあもう、両親には大反対されましたね。
「いきなり3haもリンゴの栽培面積が急拡大するなんて、手が回るわけないだろ!」
という感じで。
でも私もリンゴで稼ぐために、実家の農業を改革するつもりで就農してるんで、無理なんて意地でも言いませんでした!
知り合いに声をかけまくったり、外国人実習生を受け入れるための住居環境を整えたりして、人手を確保しました。

利益から逆算したリンゴ栽培

ナス男(筆者)

では、現在のリンゴ栽培はどんな感じですか?

東さん

6haほどの農地で、主力のふじが約3haですね。
あとは、つがるや黄王、とき、シナノスイートを栽培しています。
労働力は両親と私と従業員1人、妻も子育ての合間に手伝ってくれますし、パートの方が3名います。
作業が忙しい時に、臨時で来てくれる方も雇用しています。

外国人の技能実習生は、今は雇用していません。

ナス男(筆者)

なるほど、東さんのリンゴ栽培のこだわりはありますか?

東さん

こだわりというか、他のリンゴ農家と違う所と言えば、出荷先のニーズに合わせた栽培をしているという点ですね。
①歯ごたえがあって酸っぱめのリンゴが求められる出荷先には、葉とらず栽培で管理しています。
収穫も完熟ギリギリよりも、少し前のタイミングです。
②甘いリンゴを求めるお客様には、私の栽培技術の全てをつぎ込んで栽培しています。
堆肥などの土づくりから、剪定や葉っぱ取りもこだわり、完熟ギリギリで収穫して甘いリンゴを提供しています。

完熟ギリギリで収穫したリンゴ
ナス男(筆者)

出荷先によって、栽培の仕方を変えているのですね!

東さん

それともう一つ、うちのリンゴは全て無袋栽培です。
有袋栽培がうちの地域では主流ですし、売上は有袋栽培の方がいいですけど、
経費や最終的な手取りを見て、どう考えるかは農家次第なわけで。
求められるリンゴの美味しさは落とさずに、かつ労働時間や手取りを考慮したうえで、私は無袋栽培を選択しています。

ナス男(筆者)

なるほど、数字を判断基準にした栽培方法の決め方もあるのですね。
参考になります。
リンゴ栽培で失敗したことはありましたか?

東さん

細かい失敗はたくさんありますけど、どうしようもなかったことで言ったら、就農初年度2008年のひょう害ですね。
1年に2度も、しかも収穫間近に急にひょうが降ってきて、9割以上のリンゴが生傷ができてしまいました。
生傷リンゴは腐るので訳あり品でも出荷できないし、残りのリンゴも加工用にしかなりませんでした。
その年はマイナス1000万円の赤字!
ストレスや不安で、10円ハゲどころか、500円玉くらいのハゲが2つも頭頂部にできましたよ……。

ナス男(筆者)

りんごママもおっしゃっていた、2008年のひょう害ですね。
経費がフルにかかっている収穫間近でのダメージ、きついですね…。
円形脱毛症になるほどの危機から、どのように挽回していったのですか?

東さん

手持ちの現金では経費が払えなかったので、JAの臨時の融資を受けて。
あとは睡眠時間を削りながら、とにかく必死に働いて、少しずつ借金を返済していきました。
昼間は翌年に向けたリンゴの剪定などの作業をしながら、JAのフォークリフト当番の仕事をして、夜はコンビニの深夜バイトもしましたね。
妻も努めて明るく笑い飛ばしてくれていたので、精神的に救われました。

東さん

あとは台風やひょう害を含む、多くの損害をカバーできる「収入保険」に入りました。
予期せぬ災害だけは、防ぎようがないじゃないですか。
農家の努力ではどうにもならない部分を補償してもらえるのは、安心できますからね。

ナス男(筆者)

4ケタ万円の赤字から立て直した、東さんの努力に感服します。
あとは、栽培面での今後の目標はありますか?

東さん

昔の品種よりも着色しやすい「着色系」の品種に改植や接ぎ木をして、作業効率がいいように改善しています。
リンゴの樹を増やせる農地もあるので、もう1haくらいまでは栽培面積を拡大するつもりですね。

輸出企業へのリンゴの出荷という販路

ナス男(筆者)

就農当初からの販路の改革は、どんな感じだったのですか?

東さん

私が就農する前は、JA出荷がほぼ100%でした。
「手取りを増やすには直販だ!販路を増やせば、一つの出荷先がダメでも、他の販路でカバーできる。」
と、とにかく直販に力を入れようと、行動しまくりました!

①あずま農園の名前を覚えてもらうために即売会に積極的に参加
②楽天市場でリンゴのネット通販にトライ
③「輝く黒石リンゴの会」という団体の会長として、東日本大震災復興のためのリンゴサイダーを発売
④田舎町のリンゴの即売会に集客のために、テレビや新聞にも出まくる
行動の成果として、市長表敬にとどまらず、知事表敬も受けましたよ!

ナス男(筆者)

知事表敬もされるくらいの成果を出すとは、ものすごい行動力ですね!
それでは今も、直販の販路はたくさんあるのですか?

東さん

いや、それが…。
たしかに手取りは多くなったんですけど、その分手間も増えちゃって。
リンゴの剪定をしないといけない冬にも、直販の準備に追われているのは本末転倒だなと。
利益率が低い出荷先は止めて、販路を絞っていきました。
直販の割合を増やそうと動いて分かったことですけど、JAの輸送体系や価格努力もすごいなと思い知らされましたね。

東さん

販路の試行錯誤をしていった結果、直販は2割ほどです。
現在は日本農業さんという、リンゴの輸出をメインにしている会社に出荷しています。

ナス男(筆者)

リンゴの輸出ですか!
でも最初は日本農業さんも、販路の選択肢の一つでしかなかったわけですよね?
日本農業さんに8割もリンゴを出荷するようになったということは、海外市場に可能性を感じたということですか?

東さん

それもありますけど、シンプルに日本農業さんを応援したいと思ったからですね。
・日本農業さんが創立した当初から、あずま農園に足を運んでくれたり、
・台湾の現地バイヤーの人を、あずま農園に連れてきたり、
・時には酒も飲みながら、輸出の可能性を語ったり。
「この会社は、日本のリンゴ業界を変えるだろうな。」
と直感してから、現在も取引させてもらっています。

台湾から来たバイヤーと東さん夫妻
ナス男(筆者)

販路選択の決め手は、相手の熱量だったんですね!

今後の目標や就農希望者に対してのアドバイス

ナス男(筆者)

他の農家とは違う栽培や販路、さすがカリスマ農家ですね!

東さん

そんなことないんだけどなあ(笑)。
「葉採らずで固いリンゴを作って輸出している」とまとめちゃえば、異端児みたいに見られますけど、
手取りや自由な時間を最大限残すためにどうするか、私なりのロジックを積み立てて農業経営をしているだけですよ。
バイクのロードレースも農業も一緒で、論理的に考えないと結果は出ないですから。

即売会でリンゴを売りまくる東さん
ナス男(筆者)

参考になりました!
最後に、農業に興味がある方や就農を志す方に、アドバイスがあればお願いします。

東さん

今の時代ではパワハラに聞こえるかもしれませんが、
「○ぬ気でやらないと、農業の方向性も見えてこないよ。」
ということですかね。
私だって500円ハゲを2つも作りながら深夜バイトまでして、見えてきた栽培や販路があります。
○なない程度の失敗は経験しとかないと、逆に成長しないんじゃないかな。

ナス男(筆者)

厳しくも愛のあるアドバイスですね……!
取材させていただきありがとうございました!

農家さんのリンク

あづま農園

こぼれ話:海外では酸っぱめのリンゴが好まれる?

ナス男(筆者)

酸っぱめのリンゴを、日本農業さんに出荷しているということですかね?
日本人と海外の方が好むリンゴ、嗜好に違いがあるということですか?

東さん

そうですね、少なくとも私は、
「海外の方は酸っぱめのリンゴを食べ慣れているから、甘いリンゴは好まない方もいる」
と考えています。

東さん

というのも、リンゴの即売会でアメリカの方に、
「Is this apple sweet, or sour ? (このリンゴは甘いですか、酸っぱいですか?)」
と聞かれたんです。
甘くて美味しいリンゴだと伝えたくて、
「ベリーベリースウィート!」
と俺が返答すると、
「No,thank you.(甘いリンゴならけっこうです)」
と断られたことがあって。

日本の「糖度至上主義」は、世界では当たり前ではないと考えされられた出来事でしたね。

ナス男(筆者)

国によって美味しいと感じるポイントが違うんですね。
知りませんでした。

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