震災後のを耐え、岩手県職員を辞めて農林業で独立
林業を中心にしながら、ホワイトコーンやニンニクを栽培、直販
地域の課題解決ができる次世代の育成
今回インタビューした農家は、岩手県気仙郡の「しもありすマンふぁーむ」代表の平林慧遠(ひらばやし えおん)さんです。
震災後の苦悩から数年後に岩手県の県職員を辞め、地域おこし協力隊として活動し、気仙郡の下有住(しもありす)地区で農林業で独立されました。
奇抜なキャラクターとは裏腹に?地に足ついた農林業を営む平林さんの、就農までの経緯や中山間地の農林業について取材しました!
震災の後に公務員を辞め、地域おこし協力隊に

平林さんはどんな学生でしたか?



東京生まれ東京育ちで、人混みの中で育った平凡な学生でした。
そのせいか高校3年生で進路を決める時は、
「東京は自分がいなくても、社会は問題なく回っていくな…。」
「都会を出て、自分が必要とされる仕事を見つけたい!」
という葛藤から、岩手県の大学で農林業を学ぶ学部に入学しました。
大学時代のインターンも、小岩井農牧山林部で林業をしていました。



生まれ育った東京を飛び出して、農林業を専攻されたのですね。
大学卒業後はどのような進路を取ったのですか?



2010年に大学卒業したのちは、岩手県の農林業の職員として勤務しました。
主に間伐や植林、下刈り等の補助金を交付する事務等をしていましたね。
そんな矢先に、2011年の東日本大震災が起きたんです。



震災当時は、震源近くにいたんですか。



県職員や消防団の仲間も多くが犠牲になった、悲惨な出来事で。
私は遺体安置所で、安否不明者の確認や遺留品の保護を担当していました。
つらい思いをしている方がたくさんいる中で、私も精神的にきつい期間でしたね。



本当に、私が語るのも憚られるくらいの、辛い経験をされたのですね。



耐え忍ぶ期間が過ぎ、復興計画に関する記述の具体化ができてきた2016年に、
岩手県職員を辞めて、妻の実家がある下有住(しもありす)地区の地域おこし協力隊に就任しました。
今までも公務員として農林業には携わってきていましたが、より地域に根付いた事業を興したいという気持ちが強くなってきたんです。


下有住地区の地域おこし協力隊を経て、農林業で独立



地域おこし協力隊として、どのような活動をされていたのですか?



役場の事務仕事の補助だったり、農林業のアルバイトを主にしていました。
休日には遊休農地を借りて、家庭菜園もしていましたね。
下有住地区の方々は、本当に優しいし、生き生きとされていて!
トラクターがハマった時に助けてもらったり、機械を無償で貸していただいたりと、充実した3年間でした。



農林業で独立するというのは、ある意味自然な流れだったのですね。



そうですね、下有住地区は遊休農地も多かったですし、地域の林業も例に埋もれず人手不足だったんです。
なので私の農林業の経験やスキルを活かして、地域の課題の一部だけでも解決できるのではと考えました。
そこで2019年から「しもありすマンファーム」として、下有住地区で農林業をしていくことにしました。



それにしても地域名を屋号にするということは、下有住地区を代表する農家になるという決意表明ということですか?



いやいや!最初は下有住地区のゆるキャラを作るつもりだったんですけど……、
普段から良くしてもらっている下有住地区の方々のように、生き生きとかっこよく過ごしたいという気持ちがずっとあって。
移住者の私が地域名を出すのは申し訳ないと思いつつも、ローカルヒーローっぽい屋号で現在まで至っています(笑)。
林業を中心に、ホワイトコーンやニンニクを栽培



しもありすマンふぁーむさんの、現在の農林業はどんな感じですか?



メインの林業は、森林組合から委託された造林の仕事を請け負っています。
農業はホワイトコーンを1ha、ニンニクを10a、シャインマスカットを10aほどです。



農業と林業を組み合わせているのですね。
遊休農地があるのであれば、農業に専念して力を注ぐ選択肢もあったと思いますが、
なぜ複数の業態を運営しようと思われたのですか?



まずシンプルに、農業1本で飯を食っていくのは、下有住地区では難しいと気づいたんです(笑)。
・年に1作しかできず、周年で雇用を生み出せないこと
・平野部のように大きな農地で大型機械をを使ってできないこと
・鳥獣害が多すぎること
など、遊休農地が多くて兼業農家が多い理由が、自分で農業をしてみて分かりました。



そして農林業を並行して行う百姓スタイルは、私が学生の頃インターンでお世話になった「小岩井農牧山林部」の農林業を参考にしています。
不確実性が高まる世の中で、複数の異なる生業によって倒れず生き残るという考え方ですね。
冬は雪に閉ざされる中山間地で、長年営農されている小岩井農場の経営は、本当に尊敬していています。



なるほど。
平野部で大規模に営農していくスタイルは、雪国の中山間地には持ち込めないのですね。



私なりの言葉で言い換えれば、
「半径2キロメートルの範囲で、複数の生業を作る」
ことを意識しています。
実際にここ数年でも、コロナショックやウクライナショックでかなり影響を受けたので、
下有住地区での百姓スタイルは、間違ってないと思ってます!



倒れずに存続し続けるための、百姓スタイルなのですね。
そんな生業作りのこだわりはありますか?



農林業に共通して言えるこだわりは、地域の困りごとを読み解いて、最善を尽くす仕事が提供できるかどうかです。
「自分が○○だけをやりたいから、他はやらない」
という思考では、中山間地では厳しいですね。



都会とは違って、田舎は協力し合わないといけないですからね。



独立当初に私1人で農林業をしていた時は、農業だけに農業だけに専念したい夏の収穫時期は、林業の仕事を断っていたんですが……、
造林の夏の仕事で重要な「下刈り」という、植林した山の雑草刈りがあるわけですよ。
だから今は従業員を3人+応援で1人雇用して、通年で林業と農業を回せる体制を取りました。
自分の都合のいい時だけ仕事を受ける人に、大事な仕事って任せられないですからね。



地域の課題解決という起点で、従業員を雇用したのですね!
あとは栽培面で、しもありすマンふぁーむさんの現在の課題はありますか?



私がいなくても仕事が回るように、次世代を育てることが目下の課題です。
1~10まで段取りしないと組織が回らない状況では、私が何かあった時に仕事が止まって、地域の依頼者に迷惑をかけてしまいますからね。


直売所や産直ECサイトで認知度を上げる



現在のしもありすマンファームの販路はどんな感じですか?



林業の仕事は森林組合から委託料をいただいています。
農業はホワイトコーンはJAに約35%、ECサイトで約35%、残りの約30%は直売所で売っています。
ニンニクは飲食店や業者との取引で100%です。
シャインマスカットはまだまだ数がないので、直売所で販売しています。



農業部門は、直販で多くを販売するのはすごいですね。
直販割合が多いのは、何か狙いがあるのですか?



造林の委託料は、私が仕事をした分必ずいただける「計算できる収入源」で、しもありすマンふぁーむの土台です。
だから農業では売上や認知度アップや目的に、自分で価格を決められるような産直ECサイトや直売所に積極的に出品するようにしています。



なるほど。
林業という土台があるからこその、上積みの直販ということなんですね。
それでも、どうやって取引先やお客様を見つけているのですか?



安売りせずとも商品の良さを認めて買ってもらえるお客様を想定しつつも、「最初からお客様を決めつけない」とは考えていました。
例えばホワイトコーンに関しては、JAを通したスーパーでの販売、産直ECサイト、直売所と、色々な販路に並べて認知してもらうことから始めました。
特に反応の良かったお店やお客様がいれば、その方にずっと買い続けてもらえるように、栽培努力や価格設定を合わせていく感じです。



複数の販路に出品するうちに、消費者のイメージが具体的になっていったのですね。
それでは、販売面では苦労はなかったのですか?



苦労を強いて挙げるなら、就農当初は直売所でホワイトコーンを扱っているのは私だけで、なかなかホワイトコーンの美味しさをPRしきれていませんでした。
だけど私の名前とホワイトコーンの美味しさが認知されるようになってからは、直売所に並べた瞬間から売れていくほどになりましたよ。
加えてどの販路にも少量から並べているので、当初販売に苦戦していたことも、失敗だったとも考えていません。



販路も複数持つというのは、「半径2キロメートルで生業を複数持つ」平林さんらしいリスク分散だなと思いました。
しもありすマンふぁーむさんの販売面の今後の課題は何ですか?



持続可能な農業にしていくためには、販売価格を徐々に上げていかないといけないのは課題ですね。
あとは下有住地域の人口も減ってくるので、地域外にもっとしもありすマンふぁーむのファンを増やしたいです!
産直ECサイトもリピーターの購入だけではないので、今買ってもらっている方ももちろん大事にしつつ、新たな層にも認知してもらえるようにすることですね。



他の直販されている農家さんも、新規の顧客の方にも買っていただきたいという課題を口にされていました。
「お客様も年を取っていく」というのは、直販をされている農家さんにとっては、共通の課題なんですね。


今後の展望:地域の農林業の課題解決ができる人材の育成も



ところで平林さんは、田舎での生活や独立した農林業への不安とか、東京に戻りたい気持ちとかはなかったんですか?



まあ予想通り、うまくいかないことも多いですけど……、
都会に戻りたいとか、田舎の下有住地区が嫌になったりしたことは、今まで一度もありません。
自分を変えたくて農林業の道に入りましたが、今は仕事でもあり、好きなことでもあります。
仕事と遊びの境目がなく生活してる感じが、私には合っているんでしょうね。



仕事と遊びの境目がない生活!
平野部の大規模農家も素晴らしいですけど、平林さんのような農業や人生設計に憧れる方も多いと思います。
平林さんのように、移住や新規就農を志す方にアドバイスがあればお願いします。



繰り返しになりますが、条件不利の中山間地は農業だけが課題ではありません。
農業以外でも地域の困りごとを発見して、最善な解決策を見つけられる方が、中山間地への移住や農業に向いているのではないでしょうか。
私もSNSでの相談や農林業体験を受け入れているので、迷っているのであれば、気軽に相談してくださいね。



農林業で活躍できる、次世代の育成もされているのですね。
でもせっかく育った人材が辞めていってしまうのは、大変じゃないですか?



たしかにしもありすマンふぁーむから独立となると、痛い人材流出ではありますが……、
他の地域でも活躍してくれるならプラスですし、リスクや不確実性も分散できるし、お互いが連携することでできる仕事も増えるのでそういう生態系みたいにしていきたいです。



他の中山間地でも、しもありすマンのようなヒーローを輩出して、戦隊を組めたら最強ですね!
取材させていただきありがとうございました!


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