高校の教師を辞めて農家へ
市場に出荷せず、全てを自社で売り切る販売スタイル
大人気のポッドキャスト配信の裏側
今回インタビューした農家は、和歌山県和歌山市の山本康平さんです。
教員を辞めて実家の果樹農家に親元就農され、市場に頼らない販売をされています。
人気のポッドキャスターでもある山本果樹園さんに、就農までの経緯や市場に頼らない販売、ポッドキャストの裏側などを取材しました!
教員を辞めて、実家の農業を継ぐ
山本さんはどんな学生時代を過ごされましたか?
昔はいたって普通の、おとなしめの学生でしたね。
ただ高校の頃に、友達がいじめられているのをかばったら、私がいじめのターゲットになって……
その時の教員が真剣に対応してくれなかったことで、逆に自分がいじめなどに対応できる教員になりたいと決心し、教員免許を取るために大学に進学しました。
辛い経験から、教職を志望されたのですね。
大学卒業後は働いていた時は、どうでしたか?
大阪の商業高校で、常勤講師として簿記や経営の授業をしていました。
やりがいは非常にあったのですが、月の残業が200時間を超えるほど働いていたので、心身ともに疲弊していました。
実家が農家で将来は私も農家を継ぐと漠然と考えていたのですが、就農はまだ遠い将来のことだと思っていましたね。
講師時代はハードな働き方をされていたのですね……。
そんな忙しくも充実していた先生を辞めて、実家の農家に入るきっかけはあったのですか?
ある日実家に戻った時に、父親がソファで横になってバラエティー番組を見ていたんです。
日々忙しく働いている自分とは、あまりに対照的な休みの過ごし方で、衝撃的を受けました。
反射的に父親と、就農したら休みや収入がどの程度あるか、将来の農業経営のビジョンはどうなのかを話しました。
父親も、まだ私が就農するのは先の話だと思っていたようで、果樹園の面積をガツンと減らす計画だったみたいですが……
果樹は伐採してしまったら、成木になるまでに何年もかかってしますし、代々続いてきた農業を途絶えさせるのは申し訳ないという気持ちになって。
それならば自分が継ごうということで、2013年の24歳で親元就農しました。
そういう経緯だったのですね。
実際に農家として働きだした、当時の印象はどんな感じでしたか?
幼い頃から身近で見ていた仕事でしたから、農作業自体は想像通りでした。
ただきつかったのは、生徒とコミュニケーションを取る先生とは違って、農家は人ともしゃべらずに孤独に作業することがほとんどということです。
毎月の安定した給与がないことへの、金銭面の不安もよぎることもありました。
先生とは違って不安定な収入なのは、やっぱり精神的にきついものなんですね。
そう、きつかったですね。
就農初年度は、年100万くらいしか私に残らなかった記憶があります。
それでも実家暮らしで支出は減りましたし、果樹も植えて農地も増やしたので、いずれは収入も良くなっていくだろうと自分自身を信じ込ませていましたね。
モモやミカンは、収穫して売上が出るまでに数年はかかりますからね……
あと資金面に関して、山本さんが就農した時に新しく投資した農機や設備はありますか?
農機類に関しては、当時あったJA和歌山の独自の就農補助金を利用して、ハンマーナイフモアと糖度計を買いました。
あとは、作業用倉庫をJAバンクから1200万くらいの融資を受けて建てましたね。
父親も、資金繰りは大変だったと思います。
果樹の収穫量は2倍に増えるわけでもないのに、専従者が1人増えたのですから。
でも私が決めたことでもあるので、不安を振り払うように仕事に打ち込むしかなかったですね。
糖度を高めるにこだわる果樹栽培
現在の栽培作物と規模、労働力を教えてください。
モモが1.5ha、ミカン類が1.5ha、柿が1ha、米が1.5ha、スモモが30a、スイカが20a、カボチャが20aですね。
主な労働力は父と私で、あとはパートさんが10名ほどいます。
パートさんもたくさん雇用しているのですね。
栽培に関してのこだわりはありますか?
色々と企業秘密なのですが、ざっくり言えば、果実の糖度を上げることを意識して、栽培技術の工夫を常にしています。
特にモモと柿は、全量を光センサークボタフルーツセレクターで糖度を計測して販売しています。
モモと柿は全量を計測、手間をかけているのですね。
でも素人からすると、糖度以外にもおいしさの基準はありますよね?
そこまで糖度にこだわる理由はなんですか?
たしかに食感や香りなど、果実の美味しさの基準は糖度の他にもあります。
ただ多くの方が勘違いされているのですが、糖度はショ糖やブドウ糖などの「量」ではなく、「濃度」なんです。
お客さまそれぞれの好みを否定するつもりは毛頭ありませんが、特に果樹の場合は、糖度が高い=味が濃い果物のほうがおいしいと言われる傾向にあるのは事実です。
だから私は、糖度を意識した栽培を心がけているということです。
そうなのですね!
そんなこだわりのある栽培面で、失敗したことはありますか?
失敗は毎年のようにありますし、完璧と言えるシーズンは今まで一度もないですね。(笑)
今年も雨も多いし暑かったせいで、特にモモの病気の発生には苦労しました。
世界的に温暖化の傾向にありますから、どの農家さんも苦労されていますよね。
モモが特に作りにくくなっているということですが、どのような対策を考えていますか?
6,7月のモモを徐々に植え替えて柑橘類にするとか、人員の割り振りや段取りを変更することは検討していくつもりです。
それでもちょっとした傷物のモモは出てしまいますが、うちの場合は訳あり品として、直売所で売り出しました。
市場以外に販路を持っている農園の強みとも言えますね。
市場に頼らずに売り切る販売
販路の話題が出ましたが、山本果樹園さんの現在の販路はどんな感じですか?
自宅横の直売所、山本果樹園のHP、産直EC、ファーマーズマーケットです。
割合は年によってまちまちですね。
父親の代から市場に頼らずに自分たちで販売していて、私が就農してから自社HPの作成と産直ECに登録しましたね。
全ての収穫物を、山本果樹園の名前で売り切るのはすごいですね!
販路面に関して、他のこだわりはありますか?
栽培にもつながる話ですが、いつでもお客さまが旬の果物を購入できるように、収穫時期をずらすような栽培しています。
例えばモモは15種類、ミカンは雑柑含めて10種類で、品種を変えることで旬の時期のものを収穫できます。
果物の定期便を購入してくださるお客さまにも、喜んでもらえますね。
品種をばらけさせて、収穫適期を分散させているのですね!
盤石の販路面に見えますが、販路に関して失敗したことはありますか?
「名の通ったお店や高級ホテルに果物を卸しているのはカッコいい!」と思って、過去には飲食店やホテルとの契約出荷をしていましたが……
決められた日に決められた量を出すのが大変で、うちの経営には合っていなかったです。
それならばと契約出荷をやめて、今購入してくださっている個人のお客さまへの販売に、より一層シフトしました。
飲食店やホテルとの直接契約は、憧れだけでは続かない側面もあるのですね。
勉強になります。
音声番組「よるののうか」の制作の裏側
山本さんと言えば、2019年から人気ポッドキャスト番組の「よるののうか」を配信されています。
2024年のポッドキャストスターアワードで最優秀賞にも輝いた番組になりましたが、きっかけはなんでしたか?
ありがとうございます!
音声配信を始めたきっかけは、糖度30度のモモを作れた時でも、売上には何もつながらなかったからです。
高糖度のモモはメディアにも何社か取り上げてもらったのですが、やっぱり一過性の宣伝だけではなく、自分で発信できるプラットフォームがないとダメだと考えました。
農業もしながら、音声メディアも制作する生活……。
大変そうに感じますが、どのようにネタ作りをされているのですか?
作業中に浮かんだアイディアをメモしておいて、それをネットで調べたり発想を膨らませて台本を作る感じですね。
作業終わりの夜に収録して、スキマ時間に少しずつ編集して公開するのが毎度の流れです。
農系ポッドキャストは以前から聞いていましたし、元々お笑いは好きでしたから、余裕だろうと高をくくっていましたが……
毎回ネタ作りはしんどい思いをして、ボツにした企画もたくさんあります。(笑)
なるほど、好きだから努力できているということですかね。
番組のネタを作る上で、気をつけていることは何ですか?
①農家であるというパーソナリティーを活かすこと
②農作業中の孤独を感じていた過去の自分が楽しいと思ってくれるような番組にすること
この2つは、常に念頭に置いてネタを作っています。
あれこれと試行錯誤をしていく中で、今の農系バラエティーというジャンルに振り切りました!
一般の方は知らないであろう農業の知識を、分かりやすく面白い切り口で掛け合いをしているのは、他の番組にはない特徴に感じます!
よるののうかを配信されていて、良かったことはありますか?
やはりポッドキャスト経由で、果物が売れたことですね!
オーバーザサンという大人気ポッドキャスト番組で、「よるののうかが面白いし、ミカンが美味すぎる!」と紹介してもらって!
その日1日だけで、ミカンが180万円分売れました!
前触れもなく取り上げていただいて、いきなり注文が山ほど来たので、何事かとビビりましたね(笑)
リスナーの方も増えましたし、オーバーザサン様様です。
一日でいきなり180万円も売れるとは!
ポッドキャストドリームですね…!
でも、大変なことも多いんじゃないですか?
今でこそ毎話6000回くらいは再生されるのですが、配信を始めた当初は再生回数が本当に伸びなかったんです。
地元の農家の知り合いにも「お前は遊んでるな。」とも言われましたし。
まあ、遊びみたいな内容なのは事実ですけど……(笑)
正直、ポッドキャストを辞めようと思ったことは何度もあります。
時間をかけて番組を作っているのに、成果が出ないのは苦しいですね。
その苦しい時期を、どうやって乗り越えられたのですか?
信じてやり続けた、もうそれだけですね。
自分の妻や義母にも面白いと言ってもらえましたし、伊藤さんも断らずに一時間かけて収録に来てくれてましたから、あきらめずに済みましたね。
何より、過去の孤独や不安があった自分が聞いても面白いと思う番組を作っているという自負がありました。
続けていくうちに再生回数も増えて、「番組が存在してくれて助かりました、ありがとうございます」というコメントをいただくようになりました。
誰かの孤独の支えになってるんだと実感できるようになったことが、今の私たちの支えにもなっています。
継続は力なりの、素敵なエピソードですね。
今後の目標や就農希望者に対してのアドバイス
山本果樹園さん全体の、今後の目標を教えてください。
まだ父親が元気なうちに、ゆくゆくは父親との経営のバトンタッチをして、ゆっくり仕事できるようにしたいです。
ポッドキャストでは、よるののうかのリアルでのトークイベントや、視聴者参加の収穫バスツアーとかもしてみたいですね!
ありがとうございます。
最後に、山本さんと同じように親元就農される方にアドバイスがあればお願いします。
親と農業や経営のビジョンをよく話し合うことですかね。
そのうえで、自分が楽しいと思えることにどんどん挑戦していったらいいと思います。
自営業である農業であれば、自分の工夫次第で色々なことに挑戦できますし。
「継続は力なり、好きこそものの上手なれ。」
私も好きなことを継続できるように、これからも頑張っていきますよ!
取材させていただき、ありがとうございました!
こぼれ話:お笑い界の賞レース「R-1グランプリ」にも出場!?
山本さんは、過去にR-1グランプリにも出場されたと伺いました!
農家という職種を超えた挑戦ですが、お笑い界の賞レースに出ようと思ったきっかけはなんでしたか?
よるののうかのネタを作っているうちに、「農業ネタでお笑いもできそうやな……。お笑いの賞レースに出たら、農業でもちょいと話題になるんとちゃうか?」
ってことで、農家のおじさんのコスプレをして、R-1グランプリに殴りこんできました!
なんと!
結果はどうだったのですか?
見事、予選1回戦敗退でした!(笑)
いやあ、いざ本番になると、緊張してすべり散らかしまして……
でもネタ中に、妊娠中の妻のお腹に胎動があったみたいで!
お腹の中の娘が叱咤激励してくれてるんだと考えたら、もっと農業もポッドキャストも一層頑張ろうと決意を新たにしましたね!
もしかしたら、お子さんは爆笑して蹴っていたのかもしれませんね!
今後も面白い番組を期待しています!
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